石清水八幡宮、三の鳥居から参道 ― 2012年05月20日 22:18
三の鳥居をくぐり、本殿へ。
左下の公園には、エジソン記念館がある。白熱灯のフィラメントにこの山の竹が特に選ばれて使われたことによる。とのこと。
左下の公園には、エジソン記念館がある。白熱灯のフィラメントにこの山の竹が特に選ばれて使われたことによる。とのこと。
石清水八幡。二の鳥居 ― 2012年05月18日 21:55
ここから三の鳥居まで、坂道と石段を約40分ぐらいだろう。小生は、ケーブルカーで登って、この表参道を降りてきたのだが。
中腹の裏参道脇に岩清水の名の由来となった井戸がある。ホームページの紹介では、「石清水は、厳冬にも凍らず大旱にも涸れない霊泉として、男山五水の中でも特に尊ばれ、往古より皇室および将軍家の祈祷にあたっては、この霊水を山上の本宮に献供するのを例としていました。その際、神前に供された石清水を「御香水」といいます。」
中腹の裏参道脇に岩清水の名の由来となった井戸がある。ホームページの紹介では、「石清水は、厳冬にも凍らず大旱にも涸れない霊泉として、男山五水の中でも特に尊ばれ、往古より皇室および将軍家の祈祷にあたっては、この霊水を山上の本宮に献供するのを例としていました。その際、神前に供された石清水を「御香水」といいます。」
高良神社境内のタブノキ ― 2012年05月17日 21:08
高良神社の前の広場は駐車場として使われて、ひっそりとしているが、往時はもっと広く絢爛に賑わっていたものと思われる。でないと、徒然草のこの段が理解できない。
極楽寺 ― 2012年05月16日 22:32
一の鳥居からはいって、まっすぐ進んだところに徒然草第五十二段の有名な逸話の舞台となった極楽寺がある。
「仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。」
高良は極楽寺の隣にある高良神社
「仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。」
高良は極楽寺の隣にある高良神社
石清水八幡宮の一の鳥居 ― 2012年05月15日 22:02
4月29日、吉兆松花堂店で食事の後、石清水八幡宮へ。
石清水八幡宮が鎮座する京都府八幡市の男山は、木津川・宇治川・桂川の三川が合流し淀川となる地点を挟んで天王山と対峙する位置にあり、京・難波間の交通の要地である。また、南北朝時代の大小様々な戦い、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦などで知られる政治上の重要な拠点でもある。男山は都からみて裏鬼門(西南の方角)に位置し、鬼門(東北の方角)に位置する比叡山延暦寺とともに都の守護、国家鎮護の社として篤い崇敬を受けてきた。この経済上、政治上、そして信仰上の要の地に鎮座し、日本を平和と繁栄に導く神として多くの人々に崇敬されている。八幡大神を祀る神社は全国津々浦々に約4万社ある。
石清水八幡宮が鎮座する京都府八幡市の男山は、木津川・宇治川・桂川の三川が合流し淀川となる地点を挟んで天王山と対峙する位置にあり、京・難波間の交通の要地である。また、南北朝時代の大小様々な戦い、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦などで知られる政治上の重要な拠点でもある。男山は都からみて裏鬼門(西南の方角)に位置し、鬼門(東北の方角)に位置する比叡山延暦寺とともに都の守護、国家鎮護の社として篤い崇敬を受けてきた。この経済上、政治上、そして信仰上の要の地に鎮座し、日本を平和と繁栄に導く神として多くの人々に崇敬されている。八幡大神を祀る神社は全国津々浦々に約4万社ある。
八幡名物、走井餅 ― 2012年05月14日 22:13
一の鳥居前、名物老舗菓子店。
明和元年(1764年)、大津追分の地で走井の名水を用いて、井口市郎右衛門正勝が餡餅を作ったことに始まる。
形は三條小鍛治宗近が走井の名水で名剣を鍛えたとの故事にちなみ、刀の荒身を表している。と、お店のチラシに書いてあるが、
ちょうど、餃子を押しつぶしたような感じ。八幡さんに登って降りてきたら、この甘味はとてもおいしいだろう。
明和元年(1764年)、大津追分の地で走井の名水を用いて、井口市郎右衛門正勝が餡餅を作ったことに始まる。
形は三條小鍛治宗近が走井の名水で名剣を鍛えたとの故事にちなみ、刀の荒身を表している。と、お店のチラシに書いてあるが、
ちょうど、餃子を押しつぶしたような感じ。八幡さんに登って降りてきたら、この甘味はとてもおいしいだろう。
松花堂庭園と昭乗 ― 2012年05月11日 21:06
慶長5年(1600)、昭乗17歳の時、石清水八幡宮瀧本坊実乗のもとで社僧となり、このとき名を昭乗と改めた。当時の石清水八幡宮は周囲に60程の寺社を構え、神宮寺として賑わっていたが、明治の廃仏毀釈令により、ほとんどの寺院が取り壊された。昭乗は後に瀧本坊住職となり、更に僧として最高位の阿闍梨まで上った。本阿弥光悦や狩野探幽、沢庵宗彭らと交友が深かった。住職隠棲後の住み家として住坊泉坊の一隅に方丈を建てて松花堂と称した。
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